「だ、だって、お兄ちゃんが会いたくないって言ってるのに、無理に押しかけるなんて失礼だよ」
「そんな事、会ってから決めればいいだろう?」
「はぁ?」
太陽が顔を出す。再び陽射しが戻ってくる。
少しだけ、暖かくなる。
「会って、罵倒されたらそれまで。でも、会えばこちらの言い分も相手に伝える事くらいはできる」
「それまでって」
「でも、会わなければ永久にこのまま」
このまま。このまま何も解決する事は無く、このままずっと、自分に嫌悪を感じながら生きていく。
コウを信じることもできないままに。
「美鶴って、時々すごい事言うね」
「そう?」
「うん。昔はもっとサッパリした性格だったって話、わかるような気がする」
「誰に聞いたの?」
「金本くん」
ツバサの頬に笑みが戻る。
「昔はもっと可愛げがあったんだろうね。最初はさ、学校ではとにかく無愛想でさ、あっちこっちで喧嘩振り撒いて歩いててさ、どういう子なんだろうって思ってた」
唐草ハウスの入り口での出会いを思い出す。
「嫌いじゃなかったけど、カンジの悪い生徒だなって思っててさ」
「そういう事言うヤツの話は、もう聞いてやらない」
「あーウソうそ。冗談です」
立ち上がろうとする美鶴の上着を引っ張る。
「ありがとうね」
「は? 私は礼を言われるような事をした覚えはない」
「ふふっ 照れ屋さん」
「よせ、もうすぐ授業が始まる」
上着を引っ張り返して立ち上がる美鶴。慌てて弁当箱をしまうツバサ。
「待ってよ」
追いかけてくるツバサの声を背中に受けながら、美鶴は自分の言葉を思い返す。
礼を言われるような事をした覚えはない。
つい最近、同じような言葉を聞いた。発したのは聡で、受けたのは里奈だった。
里奈。
クリクリとした瞳を思い浮かべる。
手作りのチョコ、渡したのかな?
「ねぇ」
「ん?」
「里奈の事なんだけどさぁ」
ツバサの首が、ピクリと反応する。
「あの後、どうした?」
「あの、後?」
「ほら、この間、夕方に会って、里奈さ、走ってったじゃん」
「あぁ、うん」
ツバサは弁当箱という名の重箱を両手で抱えた。
「興奮してて、あの後施設に戻っても部屋に籠もっちゃって」
二人並んで歩き出す。
「食事の時も出てこなくって、大変だった」
「今も?」
「ううん。同室の子がうまく落ち着かせてくれて、今は普通の生活に戻ってる」
施設で過ごす生活が普通の生活というワケではないのだが。
「悪かったね」
突然の言葉に、ツバサは目を丸くした。
「え?」
「私がさ、もっと早くに里奈と会っていれば、こんな事にはならなかった」
「え? それとこれとは」
「いや、そうだったと思う。そうだったんだよ」
半分は自分に言い聞かせるかのよう。
「私が里奈と会って、ヨリを戻すなりスッパリ別れるなりしていればよかったんだ。そうすれば、あんなところで里奈を興奮させるような事もなかったんだろうし、聡に対しても」
そこで言葉を切る。
里奈と会っていれば、ひょっとしたら聡への想いに少しは気付けていたのかもしれない。そうすれば、もう少し気の利いた動き方ができたのかもしれないし。
そんな美鶴の心情を読み取ったのか、ツバサが情けなさそうに肩を落す。
「シロちゃんが金本くんの事を好きだったなんて、全然知らなかった。ほとんど毎日会ってるのに、そんな素振りも見せなかったし」
「全然?」
ツバサはコクリと頷く。
「それに、たぶんシロちゃん自身も、はっきりとは自覚していなかったんだと思う」
「自覚って」
そうなのか?
自分と聡。二人と対峙して声を大きくする里奈の姿。どう見ても、聡に対して好意を持っているとしか思えなかった。
「無自覚だったって事?」
「無自覚だったのか、自分で自分の気持ちが信じられなかったのか、そこのところはよくはわからないけれど、翌日に話した時には、シロちゃん自身が自分の行動に対して唖然としていた様子で」
唐草ハウスの縁側に、ツバサと里奈は腰を下ろした。ツバサの横で、里奈は、信じられないという言葉を繰り返していた。
「どうしてあんな行動を取ってしまったのか、信じられないって言ってた。あんな事を言うつもりはなかったのにって」
ベソをかく姿を思い浮かべる。そういう里奈なら、いくらでも想像できる。
「でも、聡の事が好きだって事には、間違いないんだよね?」
「うーん、たぶんそうだとは思うんだけど」
「たぶん?」
「なにせ、本人がまだ戸惑ってるからね。好きなの? って聞いてみたけど、わからないって両手で顔を覆っちゃうから、それ以上深くは追求もできないんだよね」
追求する事は、無理矢理に里奈の口から金本聡への好意を聞きだし、その恋心を確実なものにしてしまいたいという下心ゆえの行為になるような気がする。
あぁ、やっぱり私は意地汚い。
「とにかく、今はまだ、そっとしておいた方がいいと思う」
「そっか」
「でもね」
話を打ち切ろうとする美鶴に、ツバサが控えめに付け加える。
「もしもシロちゃんが、美鶴に会いたい、会いに行きたいって言ったら、今度は、会ってあげてね」
美鶴は大きく息を吸った。
「そだね」
そうして、瞳を閉じる。
「私の携帯番号、教えておいて。それから住所も」
ツバサが微かに笑って頷いた。
「シロちゃんの携帯の番号、聞きたい?」
しばらく思案し、だが首を横に振る。
「いいよ。里奈の方から会いたいって言ってきたら、その時に会うから」
「会いたいって、前から言ってるんだよ」
「じゃあ、里奈の方から場所と時間を指定して欲しいな」
「それじゃあ、そう伝えておく。でも、シロちゃんの方から電話してって、私経由で番号教えられたら、その時はちゃんと受け取ってね」
「そだね」
空を見上げれば薄い水色。
これで、いいんだよね。
澄んだ冷気をゆっくりと吸い込む。まるで、身体の中から浄化されるかのよう。
あー、霞流さんに何も渡さなかったな。でも、まぁ、渡してもどんな扱いされるかわからないからなぁ。
ゆっくりと、雲が流れていく。もうすぐ、昼休みが終わる。
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